みなさん、こんにちは!神奈川県大和市在住のkeitrip/須田 恵斗です。
現在の奈良県の旧国名の「大和」、大和八木や大和郡山、大和西大寺など、奈良県には大和○○と付く地名、駅名が多数あることが知られています。
そして、大和言葉や大和魂のような、名詞の前に付けると「日本特有の。日本的な」という意味になったり、「大いなる和」と言う意味が込めらた言葉としてよく使われています。
そのため「大和」と付けられている地名は、日本全国至る所にあります。
私が住んでいる神奈川県大和市もその一つです。
ここで今回は、神奈川県大和市と同様に、大和国(奈良県)では無いのに「大和」と付く市を、気になったので訪れてみました。
それが今回の目的地の東大和市です。
実際に、大和市在住の私が、大和市から東大和市まで移動、道中や東大和市駅周辺の様子を紹介いたします。
また、大和市と東大和市の成り立ちについて調べてみました。
調べてみたところ、どちらも非常に似たような成り立ちで面白かったので、併せて紹介します。
よろしくお願いいたします。
市の中心駅・大和駅
ここは大和市の中心駅・大和駅です。
駅前の広場は、大和市出身の川澄奈穂美さんが所属していた「なでしこジャパン」から取られた「大和なでしこ広場」と名付けられています。
横浜~海老名を結ぶ相鉄線と、新宿と藤沢・片瀬江ノ島へ向かう小田急江ノ島線の2路線が交差、乗り換え駅として賑わっています。
大和市→東大和市への移動
小田急に乗車
東西へ走る相鉄線に乗らず、南北に走る小田急江ノ島線に乗車します。
大和市の東にあるから東大和市と思った方も居るかもしれませんが、東大和市は、方角的に北に位置しています。
その後、相模大野から小田原線と合流、新宿方面へそのまま進みます。
登戸で乗換
多摩川を渡る直前、登戸駅に到着しました。
登戸駅は、駅名表や接近音、JRの発車メロディが「ドラえもん」となっています。
また、登戸駅からは、藤子・F・不二雄ミュージアムへのバスが多数発着しています。
「ドラえもん」の作者、藤子・F・不二雄先生が長い間、川崎市生田に住居を構えていたが由来です。
駅を出て、ペデストリアンデッキを渡って、小田急からJR南武線へ移動。
南武線立川行きに乗車します。
ようやく東京都へ
しばらく立川行きで北上、南多摩~府中本町間で多摩川を渡り、ようやく神奈川県から東京に入ります。
折り返し準備中の武蔵野線を見ることができました。
登戸から約15分、府中本町駅に到着です。
橋を渡って3番線からの武蔵野線に乗車。
このまま北上していきます。
新小平で徒歩乗り換え
府中本町から3駅、約10分で新小平駅に到着です。乗換案内はないですが、この駅から別の路線に乗り換えです。
武蔵野線を見送り、エスカレーターを上って、駅の外へ出ます。
西武多摩湖線青梅街道駅へは、徒歩10分で行くことができます。
地図を見てみましょう。新小平駅は、西武線に囲まれていることがわかります。
と言うことで、青梅街道駅ではなく、小川駅まで移動していきます。
駅前の道を右へ進み、小川町西交差点を右に曲がります。
小川町西を曲がると、ロードサイド店が多く並んでいて、大変賑わっています。
小川駅から西武線に乗車
徒歩20分強で、西武線小川駅に到着です。
意外と時短にならないので、31円ほど運賃が高くなりますが、正直青梅街道駅から乗った方が、楽だなと思いました。
新小平から小川の乗換はあまりおすすめしません。
小川駅は、拝島線と国分寺線の交差する駅です。
玉川上水行きに乗車します。
小川駅を出て右へ大きくカーブを終えると、畑と住宅地が混じった郊外の風景となります。
地元の小田急江ノ島線の沿線風景に、とても似ています。
ようやく、案内表示機に「東大和市」の表示を見ることができました。
東大和市に到着 駅前の様子は
小川から1駅4分、大和から1時間50分弱で、東大和市に到着です。
大和から東大和市までは、今回のルートだと、片道\769(IC運賃)が掛かりました。
最も楽なルートと思われる、小田急と西武を新宿で直接乗り継ぐルートだと、片道\839(IC運賃)掛かります。(新宿~高田馬場:JR利用だと片道\944)
東大和市の駅名表です。
同じ東大和市には、西武多摩湖線の「武蔵大和」駅があります。
東大和市駅は、2面2線相対式ホームの高架駅で、他線への乗換はありません。
駅前には「東大和スケートセンター」と「BIG BOX」があります。
「東大和スケートセンター」は、現在リニューアル工事のため、営業中止中です。
東大和駅前には大きなロータリーがあります。
東大和市からは、立川行きのバスが出ています。
単純に神奈川県内から訪れるとしたら、立川駅からバスに乗った方が分かりやすくて、便利です。
東大和市駅は、1979年までは、青梅橋駅という駅名だったようです。
両市の市名の由来は?
神奈川県の大和市は、
明治時代に、下鶴間村、深見村、上草柳村、下草柳村の4つの村が合併してできた「鶴見村」で起きた対立による分村危機を、
当時の神奈川県知事・内海忠勝(うつみ ただかつ)が、事態を収拾するため「大きく和する」の意味を込め新しい村名を「大和」村に改称したこととされています。
その後1956年に、南に位置する渋谷村を編入。1959年に、市制施行により大和市となりました。
東京都の東大和市は、
大正8年に、仲が良くなく争いが多かった、芋窪村、蔵敷村、奈良橋村、高木村、狭山村、清水村の6つの村が、1つの村に合併する際に「大きく和する」と言う意味が込められて「大和村」となったのが始まりです。
その後、1970年の市制施工の際に、東京の大和市という意味を込めて、現在の「東大和市」となりました。
どちらも
- 仲が良くなかった村を合併
- 合併の際に「大きく和する」と言う意味が込められる
- 一時期「大和村」を名乗ったことがある
と、神奈川の大和も、東京の東大和も、非常に似た経緯で成り立っていることが分かります。
おわりに
大和と東大和がここまで似ていたのが驚きです。
あと、大和市と言うのが、神奈川県に取られて奈良県は少しかわいそうだなと思っていましたが、
由来を考えると、大和八木や大和郡山のように、地名の前に「大和」と付くところが本場なんだなと、個人的に「格の違い」と言うか「言葉の重みみたいなもの」を見せつけられたような感覚がしました。
今回も最後までご覧いただき、ありがとうございました。